■ 警視庁の警察官が自発的に行っているという伝統「立番」
今日は趣向を変えて日頃感じたこと、警視庁の伝統と矜持についてお話ししたいと思います。警察ではなく警視庁というのがこの話のポイントになります。
■ 24時間、盆暮れ正月含めて年がら年中、雨の日も雪の日も
組織マネジメントを専門にしている企業勤めの知人に、警視庁をべた褒めしている男がおり、最近感化されています。今回はその話をしたいと思います。
どんな話かというと、知人曰く、「警視庁では24時間、年がら年中、雨の日も雪の日も交番の見える場所に警察官がいる。特に駅周辺の交番では警察官が立っている。そしてそれらの活動が東京の治安を作っている。実際、東京都内の治安は以前に比べてかなり良くなっている。だから警視庁という組織はすごい」とのこと。
別に彼の身内に警視庁職員がいるというわけでもなく、純粋に組織としての警視庁をべた褒めしているのです(他にも彼の主張があるのですが、話を単純化するために今回はこの部分に焦点を当てます)。
■ 地域の住民に信頼されている、都内の交番
仕事柄、夜遅くに買い物をすることも多いのですが、私は、彼から数年前にその話を聞いてから、近所の駅前にある交番の前をなるべく通るようになりました。なるほど彼の言う通り、確かにいつも警察官の方が誰かしら立っています(もちろん座って執務されたり、パトロールに出ていることもあります。しかしだいたい入り口近くに誰かしら居てくれるのです。立っているというよりも「誰かしら居る」というのが重要かもしれません)。本当に24時間、盆暮れ正月含めて年がら年中、雨の日も雪の日もカッパを着て…。実に頭が下がる思いです。
少し離れた、別の少し小さな交番も同様で、その交番は、やや住宅街に近いこともあってか座って執務されていることも多いのですが、地域の住民の方々が何をするでもなく、交番の警察官の方と会話を交わす、ほのぼのとした風景をよく見ます。文字通り、地域の住民に愛され、信頼されています。
こういった光景を見ると、おそらく他の東京都内の交番や、交番勤務でない警察官の方々もしっかりされているのだろうなと自然と想像できるのです(事実、警視庁の警察署に勤務している警察官の方々は、皆立派な対応をされます)。
■ 東京都内の治安を「作ってきた」警視庁
長年、この地域に住んでいたものの、彼の話を聞くまで、あまり警視庁の警察官の方々の働きや治安のことについて考えるようなこともなかったのですが、そういえば確かに、そういったことを「考えなくてよいほど」東京都内(正確には私が住んでいる地域ですが…)の治安は良いのかもしれません。
いや、昔よりも確実に良くなっています。以前はいわゆるホームレスの方や、ちょっと危ない感じの人もいるにはいた(それでも数は少なかったものです)のですが、最近はほとんど見かけません。夜遅くに出歩いても、危険を感じたことなんてこともほとんどありません(もちろん、これらは私の主観です)。
知人曰く、「それは東京都内の交番には、警察官の姿が常にあるからであり、また、パトロールを含めたそういった地味な活動を継続的にきちんとこなしているからこそ、犯罪者など危ない人間も寄ってこなくなる」「地味な活動を継続的にきちんとこなすことができるというのは意外と難しく、それができている警視庁はプロの集団だ」ということだそう。さらに「特に住宅街に近い地域では、ホームレスの数がその街の警察力を示し、なおかつ治安の目安」になるという面白い持論を語っていました。
つまり警察が活発にパトロールや職務質問をしていれば、そういった方々は他所へ移っていく、逆に活発にパトロールや職務質問をしないと、そういった方々が増えて、さらには、あまりよろしくない方々が集まって徐々に治安も悪くなっていく。だからホームレスの数は街の治安を計る良いバロメーターであるというのが彼の理論です(ちなみに「では渋谷は?」という問いには「池袋・新宿・渋谷のような繁華街は別」という回答でした)。
■ 「割れ窓理論」と警視庁
彼の話は、いわゆる「割れ窓理論」に基づく話で、要するに「警視庁がきちんと地道に活動しているからこそ、東京都内(正確には私が住んでいる地域です)の治安がいい」という主張です。
ちなみに警視庁の警察官が交番で立つことは「立番」と言うのだそうです。知人曰く、「警察官が交番で立つことは義務ではない。警視庁の警察官が自発的に行っていること」「立番をしない県もある」「そういった伝統を、あれだけの大組織で作り上げ、維持している警視庁はもっと評価されてしかるべき」「伝統がきちんと受け継がれるのは、プロ意識のたまものだ」とべた褒め。
彼が所属する企業も大組織なのですが、末端になるとコントロールが効かないこともあり、そのマネジメントが大変なのだそう。へーと思い、近所の交番で警視庁のまだお若い警察官に「立って大変じゃないですか?」尋ねたところ「これは警視庁の伝統ですから」とさわやかな笑顔をいただきました。こういった警視庁の活動は世間的にもっと評価されてもよいのではないかと思います。
■ 川を渡ると別世界
まぁ、なんでここまで彼や私が警視庁がべた褒めするかというと、勘の良い人はもうお気づきかもしれませんが、その知人は川を渡った、とある県が地元で、長年そこに住んでいます。彼の家の最寄り駅は、かなり大きなターミナル駅で、最近では高層タワーマンションが立ち並び、そのアクセスの良さから最近では「住みたい街」として急上昇している場所です。私自身も学生時代から、そこが地元の知人と会食するためだけでなく、様々な用事で利用する機会が多い街です。
しかし、「住みたい街」として急上昇している場所であるも関わらず、駅前の交番は「警察官がいても出てこない」ことが多く(知人曰く、その地域ではかなり有名な話らしく、私も過去に一度経験してびっくりしました。落し物を届けに行ったのですが、バイクが数台あり2階に明かりがついて人が確実にいるはずなのに、呼べど叫べど誰もでてこないのです。仮に休憩中だとしても、なんだか交番の意味がないような気がします)。さらに、信じられない話ですがホームレスの方々が、その駅前の交番近くに住み着いてしまうという、なかなかカオスな状況を見ることもできたのです(それでも昔はもう少しマシだった気がします)。そして一番驚いたのは、その地域は暴走族がとても多いのですが、パトカーが暴走族とすれ違っても何もしなかったこと。
最近この地域では、ひったくりなどの事件が多発するなど、かなり治安が悪くなっているという話も複数の方から聞きます。県全体でも「振り込め詐欺」の被害が急増していると最近も報道で話題になっています。メディアなどでは、なぜここまで「振り込め詐欺」の被害が増えたのか理由が分からないとの論調で報道されていますが、まぁ先ほどの「割れ窓理論」の話を持ち出すまでもなく、そういったことは「起こるべくして起きている」のではないのかという印象を受けるわけです(他にもエピソードがあるのですが、ここでは割愛します。だいたいネット上の評判通りです)。
その県警自体、不祥事もかなり多いため、ネット上でも全国レベルで揶揄されており、「(不祥事の)東の横綱」というありがたくない称号を得ています。しかしながら、改善は進んでなく、むしろ悪化しているのではないかという印象を、新たな不祥事を聞く度に受けてしまうのです。そして、もしかしたら、その根底には「立番」という地味だけど重要な活動を、自発的な行為として伝統にまで昇華させ維持している警視庁という組織との「意識の差」があるのではないかとも感じるのです。
元大リーガー松井秀喜氏は、星稜高校時代に山下智茂監督から「意識(心)が変われば行動が変わる、行動が変われば習慣が変わる、習慣が変われば人格が変わる、人格が変われば運命が変わる」という言葉を贈られたそうです。大げさかもしれませんが、警視庁の「立番」を見るにつけ、この言葉を思い出します。
無論、警視庁ほどの大組織にもなれば、中にはよろしくない方もいるかもしれません。私は中のことはもちろん分かりませんが、しかし、警視庁の警察官の方々からは、全体的に「意識の高さ」が感じられるのです。
■ 警視庁の「立番」という伝統はやはり素晴らしいもの
お隣の県には警視庁の「立番」を見習えとは言いません。でも、「警察官が複数人交番にいたら(交番に誰かが訪ねてきたらでいいんです)一人ぐらいは出てくる」「暴走族を追いかけるふりぐらいは見せる」「駅周辺ぐらいは治安がいいのだということを、形だけでもいいから見せる」など、まずは見える形で信頼を回復されていってはどうかとも思うのです。
組織マネジメントを専門とする彼らしい言葉を借りますが、「民間なら末端に壊疽が起きていて、すぐに手術(組織改革)が必要なレベル」なのかもしれません(もちろん、これらは行政だけの責任だけでなく、地方議会に問題があるとも言えます)。
とにもかくにも、こういったお隣の県の「交番に警察官がいて、誰かが訪ねても誰も出てこない」状況や、治安がなんだか徐々に悪くなっているという話を聞いたり、実際に見るにつけ、警視庁の「立番」という伝統はやはり素晴らしいもの(やはりお隣の県警の仕事ぶりが目に付くようになってから、「立番」のありがたさや警視庁の警察官のレベルの高さが分かりました)であるし、そういった警視庁のプロ意識(もしくは日本への近代警察制度導入に尽力した川路利良初代大警視以来作り上げられた首都警察としての「矜持」といってもよいかもしれません)により東京都内の治安が作られていることに感謝しなければならないとも思うわけです。
さらに、彼曰く「隣の県の警察不祥事で割を食っている感が否めない」警視庁の警察官の皆さん一人一人の頑張りを、東京に住んでいる人には知ってもらいたいと思います。今回、この文を書いたのも、その点がものすごく大きいのです。
■ 東京都内の治安が良いのは警視庁の個々の警察官のプロ意識のおかげ
私は、近所の交番で警視庁の警察官の方が「これは伝統ですから」とさわやかな笑顔で応えた姿が忘れられませんし、いつも細かいところまで厳しい眼差しでパトロールする姿を見ています。余計なお世話かもしれませんが、東京都民として、いつまでも、そして何があっても「隣の県の警察不祥事で割を食っている感が否めない」警視庁の皆さんの味方でありたいと思います。「警視庁の警察官の方々はしっかりやっています」と胸を張って言えます。
東京都内、特に私が住んでいる地域の治安が良いのは警視庁の個々の警察官のプロ意識のおかげである(繰り返しますが、今回挙げた事例はほんの一例です。そして、きっとお隣の警察にもプロ意識を持った方はいるはずです。しかし残念ながら、これまで私が実際に見た光景、少数ながら会話した方々はネット上での評判通りの印象でした、そしてそれが組織全体の印象を決めてしまうのです)し、私たちは治安を享受しているのだと痛切に感じました。
と、偉そうに長々と書いたのですが、その「警察官がいても出てこない」ことで有名なお隣の県のとある駅前の交番、改修工事のためだとか、最近、仮設交番を設置することなく、また事前の知らせもなく、突然閉鎖になったとのことです。彼曰く「まぁ、あってもなくても結局は同じだけどね」。組織マネジメント・治安・伝統・矜持そして因習…、何だかいろいろと考えさせられた話でした。
そして、この様な理由により、あまり知られていない「立番」という警視庁の伝統と矜持はもう少し評価されてもいいのではないかと思った次第です。異論もあるでしょうが、これは私自身の率直な感想です。
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